1978年4月に私がTチェーン製造会社に入社してからしばらくは4輪エンジン用タイミングチェーンテンショナーの新規設計の話はありませんでした。理由は全ての日本カーメーカー全エンジンの新規開発がタイミングベルト駆動になったからです。それでテンショナーの技術は前話に書いた様なレベルでしばらく停滞していた訳です。
しかし丁度その頃二輪エンジンの自動調整化のニーズが盛んになってきました。その頃まで二輪主流テンショナーは手動調整式で、チェーンが伸びてきたら調整用ボルトを緩めてテンショナーの力でチェーンを張り、そこでボルトを締めてテンショナーを固定するというものでした。これは私が所有した初めてのバイク初代XJ400でも使われていて良く自分でも調整したものです。しかしメンテナンスフリー化のニーズでその手動調整をしない様にしたのが機械式1wayテンショナーです。(後述するスズキGSX1100R用テンショナーは純正は自動調整でしたが、ヨシムラに手動調整用テンショナーを設計し供給していました。写真1参照)
T社が関わった最初の機械式1wayテンショナーは1976年発売のヤマハXS400(エンジンコードは1L9)で、T社通称ノーバックラッシュラチェット式テンショナーでした。このバイク用ラチェット機構は1980年に発売となったあの「真っ赤なファミリア」に搭載されたE3,E5エンジン用テンショナーにも使われました。私自身はこれらの設計には関われませんでしたが、量産化の仕上げやその後のマイナーチェンジには新入社員として多少の仕事をさせてもらった記憶があります。
このラチェット式テンショナーは私の本格的な設計業務のメインとなり、ヤマハXVシリーズ、XJシリーズを初めスズキのGSX750~1100R,ホンダ/スズキ/ヤマハの125~250ccスクーター、カワサキの上位機種等二輪用タイミングチェーンテンショナーとして一世を風靡しました。この時のテンショナーとしての競合はバネ屋さんのN社が作るネジ式テンショナーでした。
T社製にしてもN社製にしても何故機械式1wayで成立するか(例えば4輪の世界ではこのタイプでテンショナーが成立したのは前述のマツダE3,E5とSAAB9000シリーズが最後です)というと、下記に挙げるいくつかの要因が重なっています。
・チェーンはサイレントチェーン化されているものが多く(スズキGSXの様にブシュチェーンの例もあるが、その場合はスプロケットに緩衝用のゴムが貼り付けてあった)テンショナーが押し過ぎてもヒュー音が出にくかったのです。(ブシュチェーンの場合には高温化でアルミ製エンジンが膨張すると相対的にテンショナーが押し過ぎになる)
・バイクの耐用寿命は4輪のそれより桁が少なく、チェーンガイドの摩耗問題も起きにくかったです。(テンショナーが押し過ぎるとチェーンガイド摩耗が大きくなる)
・テンショナーが押すガイド(通称レバーとかスリッパーとかピボットガイドとか呼ばれている)がバネ鋼ベースでできているものが多く、そのバネ鋼が撓んでテンショナーの押し過ぎを和らげてくれる。GSX-Rは更にテンショナー先端に緩衝用バネが仕込まれていて、これも押し過ぎを和らげる目的で私がその設計担当だった時に入れました。(写真2参照)
因みに何故マツダE3/E5やSAAB9000が機械式ノーバックラッシュラチェットテンショナーで成立したかというと、エンジンブロックがまだ鋳鉄製でチェーンとの相対的熱膨張が無かった為です。
-続く-